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須川展也とアストル・ピアソラ(抄)  啼鵬

 「もしもし、サクソフォーンの須川という者ですが、実はピアソラの「ミケランジェロ」という曲を採譜してほしいんだけど・・・。」

 これが僕と須川さんのお付き合いの始まりだった。このとき僕はまだ大学2年生だったが、この「ミケランジェロ」は既に高校生の頃に採譜して自分の楽団のためにアレンジしてあったのですぐに送った。1993年9月のことであった。このときピアソラは亡くなっていたが、特に彼の曲、演奏が注目されていた訳でもなく、アルゼンチン・タンゴのごくごく限られたファンだけが彼の残した偉業に哀悼の意を表していたのだった。そのころ誰が今日のピアソラ・ブームを予感しただろう。

 アルゼンチン・タンゴのアーティストとしては初めてと言っていいくらいジャンルを越えて評価された「アストル・ピアソラ」。彼のタンゴはリズムが躍動的で小気味よく、テンションの高い和声を用いてモダンなアレンジを施している。そして彼自身の目の覚めるようなバンドネオン・プレイが話題となった。その後ヨーロッパに渡った彼は、クラシックをはじめ様々なジャンルの音楽を吸収した。そして帰国後、新たに楽団を結成し、新曲の数々を発表したが、賛否両論の話題沸騰、オールドのタンゴ・ファンには「タンゴの破壊者」のレッテルをはられた。

 では、なぜ須川さんが そのピアソラの曲を演奏するようになったかを考えてみたい。

 須川さんの歩んできた道「クラシカル・サクソフォーン」というジャンルは、クラシックファンの間でさえ知られていなかった。時折ラヴェルやビゼーの管弦楽曲で顔を出す程度で、クラシックの分野におけるサクソフォーンの地位は全く低いものだった。というのも、サクソフォーンはジャズをはじめとして、ポピュラー音楽での活躍が頻繁だったからである。確かにサクソフォーンの歴史は弦楽器や他の管楽器に比べて比較的新しいが、名曲と称される協奏曲やソナタの数々もある。

 須川さんはそのオリジナル曲以外にもサクソフォーンで演奏したらまた違った原曲の魅力を引き出せるのではと、多くの「アレンジもの」を演奏している。ピアソラのレパートリーもその1つだ。ピアソラが自分の音楽を作り出すために、クラシックを学んだり、試行錯誤の末ロック風の演奏をしたのと同じように、須川さんはクラシックにおけるサクソフォーンの魅力を多くの聴衆に知ってもらいたいために、先に述べたような名曲を紹介し、この道のパイオニアになったのであった。

 ピアソラは他のジャンルのミュージシャンとの共演を好み、今までタンゴの世界にはなかった彼独自の世界を創り出した。サクソフォーン奏者も例外ではなく、ジャズ畑のミュージシャンとも共演を重ねている。そうやって生まれた彼の音楽に、サックスのオリジナル曲だけを演奏していく道に満足していなかった須川さんは魅力を感じたのだろう。

 なるほど「タンゴの革命家」であるアストル・ピアソラと「クラシカル・サクソフォーンのパイオニア」である須川展也はかなり共通点がありそうだ。加えておくと、両者ともイイ男で女にモテる(そうだ)。

 話のはずみで、僕がバンドネオンを演奏することを知った須川さんが、「是非バンドネオンとやりたいんだ。今度横浜でコンサートをするから、そのとき一緒にやろう。」こうして、サクソフォーン、バンドネオン、ピアノというユニットでの演奏活動が始まった。

 ここで1番大変だったのがピアノの小柳美奈子さんだったろう。実はタンゴのピアノというのは独特の奏法があって、生半可に弾けるものではないのだ。最近のブームに乗ってピアソラを弾くピアニストは、タンゴ奏法をほとんど知らないのでどこか洗練しすぎていて面白くない。小柳さんはタンゴ・ピアノを相当熱心に勉強した。標準的なタンゴ楽団ではコントラバスが入るのが通例なので、ベースのいない我々のユニットでの小柳さんの負担は並々ならない。またそれを知ってか知らずか、ピアノ・パートをハードに書くアレンジャーがここに居る。全くとんでもない奴だ。

 日本に初めてタンゴが入ってきたのが戦前の話。その頃から日本は「タンゴの第2の祖国」と呼ばれるように、タンゴを愛した。タンゴの曲の殆どに歌詞が付いているが、その内容は男女の色恋を歌ったもので、言葉やリズムこそ違えども日本の「演歌」と何ら変わりはない。そして今、人間の声に近いと言われるサクソフォーンで須川さんも熱唱する。もしかすると、ピアソラの音楽は、洗練された西洋人が奏でるよりも「心の歌」をもつ日本人の方が、表現するに相通ずるものがあるのではないか。

 トルヴェールのレパートリーも含めると、須川さんのピアソラ・レパートリーは十数曲に及ぶが、須川さんのピアソラがひと味もふた味も違うのは、その1つ1つが心の叫びであり「須川節」なのだ。これからも須川さんは「心の叫び」を演奏し続けるだろう。ピアソラも死ぬまでそうだったように。